「うちは従業員も少ないし、家族のような信頼関係があるから細かいルールは必要ない」
「10人未満だから、就業規則を作る義務はないと聞いた」
中小企業の経営者様から、このようなお声をよく耳にします。確かに、創業間もない時期や少人数の組織では、阿吽の呼吸で業務が回ることも多いでしょう。
しかし、「就業規則がない」状態は、会社にとって目に見えないリスクを抱えている状態と言えます。
たとえ法律上の作成義務がない10人未満の事業所であっても、就業規則を作成し運用することは、会社を守り、従業員との信頼関係を深めるために不可欠です。
本記事では、就業規則がない場合に具体的にどのようなリスクがあるのか、トラブル事例を交えて解説し、今日からできる対策をお伝えします。
【結論】ルール不在は「会社を守れない」状態を意味する
まず、この記事の要点を整理します。
- リスクの正体: 就業規則がないと、従業員に問題行動があっても「懲戒処分(減給や解雇など)」が法的に認められない可能性が高い。
- 金銭的損失: 未払い残業代請求への対抗が難しくなるほか、国からの助成金が受給できないケースが多発する。
- 解決策: 従業員数に関わらず、会社の実情に合った「オリジナルの就業規則」を作成し、周知させることが会社防衛の第一歩。
「法律で決まっているから」という受け身の姿勢ではなく、「会社と真面目に働く社員を守るため」という能動的な目的で就業規則を捉え直すことが重要です。
1. そもそも「就業規則」の作成義務とは?
まず、法律上のルールを確認しておきましょう。労働基準法第89条では、「常時10人以上の労働者を使用する使用者」に対して、就業規則の作成と労働基準監督署への届出を義務付けています。
労働基準法 第89条(作成及び届出の義務)
常時十人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。次に掲げる事項を変更した場合においても、同様とする。
[出典:e-Gov法令検索 労働基準法]
ここで注意が必要なのは、「10人」のカウント方法です。
この10人には、正社員だけでなく、パートタイマーやアルバイトも含めた全従業員数で判断されます。
本当に10人未満なら作らなくていいのか?
法律上は「作成・届出の義務」はありません。
しかし、これは「作ってはいけない」という意味ではありません。むしろ、国(厚生労働省)は10人未満の事業場でも作成を推奨しています。
なぜなら、労働契約(雇用契約)の内容を明確にする上で、就業規則は最も効率的かつ強力なツールだからです。
2. 就業規則がないことによる「3つの致命的リスク」
もし、あなたの会社に就業規則がなかったり、あっても実態と合っていない古い雛形のままだったりする場合、以下の3つのリスクに直面することになります。
リスク①:問題社員への「懲戒処分」ができない
これが最大のリスクです。例えば、無断欠勤を繰り返す社員や、会社の備品を横領した社員がいたとします。経営者としては「減給」や「解雇」を検討するでしょう。
しかし、日本の労働法には、「あらかじめ就業規則に懲戒の種別(解雇・減給・出勤停止など)と事由(どんなことをしたら処分されるか)を定めておかなければ、懲戒処分はできない」とされています。
つまり、就業規則がない状態で「明日から来なくていい(解雇)」や「給料をカットする(減給)」と告げると、不当処分として訴えられた場合、会社側が敗訴する確率が極めて高くなります。
リスク②:残業代などの「労務トラブル」に弱くなる
「営業手当を出しているから残業代は込みだ」「うちは変形労働時間制だから」と思っていても、それが就業規則などに明記され、かつ適切に運用されていなければ、法的には認められません。
例えば、固定残業代(みなし残業代)を導入する場合、就業規則や雇用契約書において「基本給」と「固定残業代」が明確に区分され、何時間分の残業に相当するかが規定されている必要があります。
これが曖昧なままだと、支払った手当が残業代として認められず、過去に遡って膨大な未払い残業代を請求されるリスクがあります。
リスク③:本来はもらえる「助成金」が貰えない
厚生労働省が管轄する助成金(キャリアアップ助成金や両立支援等助成金など)の多くは、受給要件として「就業規則を作成し、労働基準監督署へ届け出ていること」を求めています。
これは10人未満の企業でも同様です。
「本来もらえるはずだったが、就業規則がない(または届出ていない)ためにもらえなかった」というケースは、私たち社労士が現場で最も悔しい思いをする場面の一つです。

3. 「信頼関係があるから大丈夫」の落とし穴
ここで、実際にあり得る具体的なケーススタディをご紹介します(守秘義務のため、実際の事例を加工した架空のケースです)。
【ケーススタディ:株式会社A(IT関連・従業員7名)】
社長のBさんは、知人の紹介で経験者のCさんを採用しました。「ベンチャーらしく自由な働き方を」という方針で、就業規則は作成せず、簡単な雇用契約書のみを交わしていました。
【発生した問題】
入社半年後、Cさんの勤務態度が悪化。遅刻を繰り返し、業務中に副業をしていることが発覚しました。注意しても改善が見られないため、B社長はCさんを解雇しました。
【結末】
Cさんは「不当解雇」だとして、ユニオン(合同労組)を通じて団体交渉を申し入れました。
会社側には、解雇の根拠となる就業規則(解雇事由の規定)が存在しませんでした。また、遅刻に対するペナルティの規定もありませんでした。
結果、解雇は無効となるリスクが高いと判断され、会社はCさんに対して解決金として給与の数ヶ月分(約200万円)を支払い、合意退職してもらうことになりました。
さらに、この騒動で他の社員のモチベーションが下がり、2名の優秀な社員が退職してしまいました。
この事例からわかることは、「ルールがない=自由」ではなく、「ルールがない=無法地帯」になり得るということです。
真面目に働く社員を守るためにも、最低限のルールブックは必要なのです。
4. 就業規則が会社にもたらすメリット
リスク回避だけでなく、就業規則の整備にはポジティブな効果もあります。
- 業務の効率化: 休暇の申請ルールや慶弔規定などが明確になり、都度社長に確認する手間が省けます。
- 社員の安心感: 「どう評価されるか」「どういう時に休めるか」が明確になり、安心して働ける環境が整います。
- 採用力の向上: 明確なルールがあることは、求職者に対し「ちゃんとした会社」であるという安心感を与えます。
よくある質問(FAQ)
ここでは、中小企業の経営者様からよくいただく質問にお答えします。
Q1. インターネットにある「就業規則の雛形(テンプレート)」をそのまま使っても良いですか?
A. そのまま使うことは推奨しません。
厚生労働省のモデル就業規則などは参考になりますが、あくまで一般的な内容です。
御社の業種、勤務体系、独自のルール(手当や休日など)が反映されていないと、かえってトラブルの原因になります(例:実態と合わない休暇制度を規定してしまい、権利だけ主張されるなど)。必ず自社の実情に合わせてカスタマイズするか、社労士までご相談ください。
Q2. 一度作った就業規則を、会社側に有利な内容に変更することはできますか?
A. 「不利益変更」となり、変更には厳格な条件が必要です。
一度決めた労働条件を従業員にとって不利に変更すること(不利益変更)は、原則として従業員の合意が必要です。
合理的な理由なく一方的に変更しても無効となります。変更が必要な場合は、十分な説明と代償措置(経過措置など)を検討し、慎重に進める必要があります。変更する前に社労士などの専門家へご相談委託事を推奨いたします。
まとめ:就業規則は「会社における法律」です
就業規則を作成することは、単なる事務作業ではありません。「会社をどのような組織にしたいか」「社員にどのように働いてほしいか」という経営者のメッセージを明文化する作業です。
トラブルが起きてからでは遅すぎます。
「まだ人数が少ないから」と思っている今こそ、企業文化の土台を作るチャンスです。まずは、現在の労務管理のリスクを把握することから始めてみませんか?
もし、「自社の現状で就業規則が必要か診断したい」「今ある契約書だけでリスクがないか確認したい」と思われましたら、現在の貴社の従業員数や業種を教えていただければ、想定される具体的なリスクと、優先して定めるべきルールのポイントをお伝えします。
ぜひ社会保険労務士事務所ウェルブルまで、お気軽にご相談ください。
メールや電話だけでなく、LINEやChatwork、Zoomなどでのご相談も承っております。
