窓口で大声を出される。何時間も電話を切らせてもらえない。説明しても、調剤とは無関係なクレームが繰り返される。
それでも、薬剤師は「調剤の求めに応じる義務があるのだから耐えるしかない」のでしょうか。
2026年7月8日、厚生労働省医薬局長は「薬剤師の調剤応需義務等について」(医薬発0708第1号)を発出しました。
この通知が直接対象とするのは薬局・薬剤師です。
一方、2026年10月施行の改正労働施策総合推進法とカスタマーハラスメント防止指針をあわせて読むと、国の対応には、働く人を組織として守りつつ、正当な申入れや、サービスの中断が生命・心身の健康に及ぼす影響にも配慮するという方向性が読み取れます。
この記事では当該通知から、国がカスハラに対してどのような姿勢や対応を取ることを求めているのかを読み取り、解説していきます。
通知が整理した「調剤を断り得る場合」
薬剤師法第21条は、薬剤師に対し、正当な理由がなければ調剤の求めを拒んではならないと定めています。
今回の通知は、この調剤応需義務を国に対して負う公法上の義務と整理し、同条上は患者に対する私法上の義務ではないと明確にしました。
これは薬剤師法第21条の義務の性質についての整理であり、個別事案における契約上の責任など、他の法的責任まで判断したものではありません。
調剤の求めを断る「正当な理由」があるかは、一つの言動だけで機械的に決まりません。
通知は、患者の緊急対応の要否、調剤を求められた時間帯、患者と薬局・薬剤師との信頼関係などを踏まえ、個々の事例ごとに総合判断するとしています。
カスハラが問題となる場面でも、調剤拒否が正当化されるかは、カスハラへの該当性だけでは決まりません。迷惑行為の態様から信頼関係がすでに失われているか、適切な医療提供が困難になっているかも確認します。
通知では、警告書を出したり、複数人で説得したりしても迷惑行為が続き、改善されない場合などを例示しています。
暴力や長時間拘束は大きな判断要素
通知が例示するのは、次のような行為です。
- 身体的な暴力
- 物を投げる行為
- 机を叩くなどの威嚇
- 大声での恫喝
- 繰り返される侮辱や人格否定
- 土下座の強要
- 数時間に及ぶ居座りや執拗な電話
- 調剤と無関係なクレームや揚げ足取り
こうした言動により薬剤師の集中が削がれれば、調剤ミスを誘発するおそれがあります。
薬局内で騒ぐなどの行為は、他の患者のプライバシーや安全、静穏な環境も損ないます。
通知では、カスハラ対応を従業員保護にとどめず、安全な医療提供にも関わる問題として整理しています。
一方、調剤内容や接遇について合理的な指摘をすること、説明や改善を求めることは、要求内容が正当で、手段・態様も社会通念上相当な範囲にとどまる限り、拒否の理由にはなりません。
苦情であることだけを理由にカスハラと扱うことはできませんのでその点はきちんと線引をしておく必要があります。
また、精神疾患などの背景がある場合、通知では、それ自体をカスハラと結び付けるのではなく、医療機関や行政等との適切な確認・連携を踏まえて判断する必要がある場合も示しています。

「調剤すること」と「薬を渡すこと」は別の判断
通知は、調剤の求めを拒めるかという薬剤師法上の判断と、調剤した薬剤を販売・授与できるかという薬機法上の判断を分けています。
患者が年齢、アレルギー、他の薬剤の使用状況などの情報提供を一切拒み、聞き取りにも応じない場合や、必要な情報提供・服薬指導を拒む場合には、薬剤の適正使用を確保できないことがあります。
この場合は、調剤の求めに応じたとしても、薬剤を渡してはならないことがあると整理されました。
ここでの拒否は、迷惑行為への制裁ではありません。薬剤による危害を防ぎ、安全な使用を確保するための判断です。
国の対応は「現場任せ」から「組織対応」へ
2026年10月1日には、カスハラ対策を事業主の義務とする改正労働施策総合推進法が施行されます。
労働者を雇用する事業主は、企業規模を問わず、カスハラを防止するために雇用管理上必要な措置を講じなければなりません。厚生労働省の制度案内でも、施行日と関連資料が公表されています。
カスタマーハラスメント防止指針は、事業主に対して、主に次の対応を求めています。
- カスハラには毅然と対応し、労働者を保護する方針を明確にする
- 対処内容をあらかじめ定め、労働者に周知する
- 相談体制を整備する
- 事実を迅速かつ正確に確認する
- 被害を受けた労働者へ配慮する
- 再発防止措置を講じる
- 特に悪質な事案への対処方針を定める
- 相談者等のプライバシーを保護する
- 相談等を理由とする不利益な取扱いを禁止する
指針は具体的な対処例として、可能な限り一人で対応させないこと、管理監督者が対応を代わること、個人情報の取扱いに注意して録音・録画すること、状況に応じて警察へ通報することや弁護士へ相談することなども示しています。
これらは、すべての事案に同じ対応を義務付けるものではありません。各社が業種や現場の実態に応じた手順を定め、実行できる体制にすることが求められています。
さらに法改正は、国の責務として、ハラスメントを行ってはならないという国民の規範意識を醸成するための啓発活動も定めています。厚生労働省Webマガジンでも、この方向性が説明されています。
会社の中だけで対策するのではなく、社会全体で「正当な申入れ」と「就業環境を害する言動」の境界を共有しようとしているといえます。
毅然とした対応と、一律の利用拒否は異なる
薬局には、人の生命・身体に関わる医薬品を提供する役割があります。
カスハラがあったという一事だけで、直ちにすべての調剤を拒めるわけではありません。
患者の緊急性、信頼関係の喪失、適切な医療提供が可能か、生命・身体への影響などを踏まえた慎重な判断が必要です。
この考え方は、介護、福祉、交通、宿泊、小売など、顧客や利用者への対応が欠かせない業種にも示唆を与えます。ただし、薬局向け通知の結論を他業種へそのまま当てはめることはできません。
サービス提供を断れるか、将来の利用を制限できるかは、各業法、契約、消費者の権利、障害者への合理的配慮、事案の緊急性などによって変わります。
個別の判断では、所管行政や弁護士への確認が必要となることがあります。
この通知から読み取れるのは、事案の重大さや業務の特性に応じて、対応を事前に段階化して取り決め、それを労働者に周知し、企業全体で対応するということの重要性です。
今後はカスハラについての社会的な認識の浸透と同時に、企業に対して当たり前に求められるものとなっていくでしょう。
会社が今、確認しておきたいこと
2026年10月1日の施行に向け、会社では次の点を確認しておく必要があります。
- カスハラの定義と、正当な苦情との境界を社内で共有しているか
- 現場が一人で抱え込まず、上司や責任者へ交代できる手順があるか
- 電話、対面、メール、SNSごとに、対応を終える目安や記録方法を決めているか
- 記録を扱う担当者と保管方法を決め、個人情報に配慮しているか
- 暴力や脅迫がある場合の退避、通報、外部専門家への相談手順があるか
- 被害を受けた従業員への配慮と、相談したことを理由に不利益な取扱いをしない方針があるか
- 利用拒否や契約解除を検討する場合の社内決裁と、行政・弁護士への確認ルートがあるか
小規模な会社では、相談窓口を別部署に置くことが難しい場合もあります。
それでも、相談先を代表者や外部窓口に決める、対応中の従業員を一人にしない、記録様式を一つ用意するなど、人数に応じた設計はできます。
よくある質問
Q. お客様から強い口調で苦情を言われたら、すべてカスハラですか。
A. いいえ。職場におけるカスハラは、顧客等の言動であること、業務の性質などに照らして社会通念上許容される範囲を超えていること、労働者の就業環境が害されることの三つをすべて満たすものです。
正当な苦情や改善要求は、社会通念上相当な方法で行われる限り、カスハラには当たりません。ただし、暴力や脅迫など態様が強い言動は、一度でも就業環境を害する場合があります。
Q. カスハラと判断したら、すぐにサービス提供を断れますか。
A. 一律には判断できません。安全確保のため、その場の対応を中止したり警察へ通報したりする必要がある場合はありますが、将来の利用拒否や契約解除は、業法、契約、消費者の権利、事案の内容や緊急性などを確認して判断します。必要に応じて所管行政や弁護士へ相談します。
Q. 従業員数が少ない会社にも対策義務がありますか。
A. 2026年10月1日からの雇用管理上の措置義務は、企業規模を問わず、労働者を雇用するすべての事業主が対象です。
相談担当者を決める、対応手順を一枚にまとめる、緊急時の連絡先を共有するなど、実態に合う方法で整備します。
まとめ
今回の通知と改正法・指針からは、カスハラ対応を現場の忍耐に委ねず、事業主が判断基準と対応手順を用意して働く人を守る対応の重要性が読み取れます。同時に、正当な申入れを受け止め、生命・身体やサービス提供への影響を考慮する慎重さも欠かせません。
会社が最初に文書化したいのは、カスハラの定義だけではなく、現場が対応を終えて責任者へ引き継ぐ条件です。
対応方針、相談窓口、初動フローの整備を自社の実務に合わせて進めたい場合は、社会保険労務士事務所ウェルブルへご相談ください。就業規則等への記載や労働者への案内・周知についての支援も行わせていただきます。
